【後悔しないために】親孝行のアイデアを100個まとめてみた

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感動する親孝行の泣けるエピソードを集めてみた

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親孝行はときに奇跡を起こします。みなさんも親孝行にまつわる奇跡のような話を聞いたことはないでしょうか?

親孝行をするとこんなにいいことがあるんだよということが広まったら嬉しいです。

今回はそのような話を募集して集めてみました。

当サイトオリジナルの親孝行の話

2ちゃんや、ガールズちゃんねるその他掲示板などの引用ではなく、当サイトオリジナルの内容を集めました。早速紹介していきます。

奇跡の親孝行

東京に上京して16年。結婚もして出産もして、それでも旦那さんと共に家も買って頑張っていた女性の話です。

元々、お母さんは心の病気もありあまり頼ったり出来ないそうで初めての出産の時でさえも実家に戻らず叔母さんに来ていもらったり、市の補助を受けて育て、2人目の妊娠出産の時はほぼ誰にも頼らず旦那さんと二人で協力して子育てをされていました。

出産後、たまにお父さんと一緒にお母さんがおうちに来たそうですが、心の病気もあり特に普通の話が出来るということも無く、愚痴を聞かされて本当に大変だ。といってました。でも彼女は1度もそれ以上の悪いことは言ってませんでした。

1年ほどたち、下のお子さんも2歳に近くなった頃、事件は起きました。お母さんが突然意識不明の重体になり、旦那さんと急いで地元へ(車で10時間)。子供さんはまだ乳飲み子とよちよち歩き。それでも1ヶ月とにかく懸命に看病したそうです。お母さんはなぜ意識不明の重体になったのかも、どこから菌が入ったのか分からないまま、敗血症になりもういつ亡くなってもおかしくない。

と言われ、彼女は覚悟をきめていたそうです。そこで初めて、お母さんの心の病気は、飲酒などで暴れてしまったり記憶がなくなる若年性アルツハイマーの疑いがあると教えてくれました。主治医の方もほぼ匙を投げ、後は亡くなるのを待つ程だったらしいのですが、そこから奇跡が起きました。

なんと、彼女の懸命の看病と旦那さんの協力のお陰で、2年後お母さんは元気になったのです。
しかも普通に元気になっただけではなく若年性アルツハイマーの気配もきえ、飲酒も一切やめ、今は元気にお孫さんと遊んでいるそうです。

実は彼女は、買ったばかりの家を売り、お母さんの近くに住み看病に励んでいたのです。お父さんとお母さんの傍でまた1から旦那さんと歩き始め、笑って家が欲しいなぁ~と、言ってます。そして、お母さんの事を、奇跡の人だっていって笑ってます。

そんな彼女の強さと、旦那さんの優しさ、2人の親孝行は本当に凄いと感動しています。"

すごい親孝行

私の友人にとても性格の良いやつがいました。その友人は昔から、自分より人を優先する良いやつだったので、誰からも嫌われませんでした。そんな友人の親孝行話は何と「初給料をすべて親にあげたというもの」。

友人は賢く国立大学卒業後、大手企業に入社しました。普通初給料は自分のために使っちゃいますよね。親に恩返しをするとしても、給料の一部で恩返しをする人が多い中、友人は給料全額を親にあげたという事。

その事は同窓会で聞いたのですが、私は「何で、そんなことをしたの?」と問いかけると、友人は「女手一つで育ててくれた母ちゃんに恩返ししたかった。初給料の使い道はたぶん思い出になる。それなら1番納得いく使い方をしたかった」と言って「こいつ、凄いな」となりました。

ちなみに、友人は大学時代のバイトの貯金がたくさんあったので、1か月分の給料をすべて払ってもいたくないと言っていました。"

母の言葉

私は4人兄弟の一番上で長男でした。そして高校生の時両親が離婚しました。子供はみな母親と暮らすことに。まだ一番下の弟さんは小学生でした。父親は他に女の人がいて離婚したあと、すぐに再婚しやがりました。

離婚があったので、本来であれば一家の長男として皆を守る立場にありながら色々なプレッシャーや重圧があり少しづつ悪い方へ行ってしまいました。

恥ずかしいことに孝行は中退し、警察にも何度かお世話になってしまいました。その度に母に迎えに来てもらっていました。

そしてそんな私でも、友人や家族の支えで少しづつ大人になり、このままではいけないと通信で高校卒業して大卒の資格も取りました。

そしてアルバイトをしてコツコツお金を貯めて、死に物狂いで勉強も一生懸命して税理士の資格も取れました。そして可愛い子どもが産まれお世話になった母もメロメロです。

税理士として独立して、金銭的にも女手一つで育ててくれる母に恩返しができると思っていた矢先、母にガンが見つかりました。

過去は蹴られないし、あの時依頼努力はしてきたつもりです。孫も見せることができてこれからってときになんで,,,って神様ってほんとにいるのかなって思いました。

今やっと恩返しをしようと思ったいたのに,,,でも母は『孫にも会えて近くに住んでくれてる事が幸せ』と言ってくれました。

そんな母の言葉に救われました。他の方にはこんな後悔をしてほしくないと思います。

運命の歯車

母親がすい臓がんでいつ亡くなってもおかしくない状態になってしまった友人のお話です。その時友人は、母親の事がショックで何も考えられず唯一の希望であるガンの摘出手術の結果を待っていました。

ところが、手術は失敗に終わりました。何故なら、母親の膵臓の周りの臓器にはゴマくらいの小さなガンが点々としていてとても全て摘出できる状態ではなかったそうです。とても落ち込み友人は彼氏に相談しました。

彼氏はそんな友人に一言「結婚しよう」と伝えたそうです。彼女は、こんな時に!と思いましたが、母親に最後の晴れ姿を見せてあげられるのは今しかないと思い、その週に結婚式場に見学の予約をしました。そこで、運命の歯車が回り出します。結婚式場の見学を終えて、相談になりました。ウエディングプランナーさんも良い人だったからか話は深いところまで進み、母親の膵臓の話から親孝行で結婚式をあげたい事を話していました。

すると、ウエディングプランナーさんは、真剣な顔をして、実は私の母も病気で亡くなり結婚式が間に合わなかった事と今日ちょうど予約がキャンセルになり約6カ月で式を挙げる事が出来る事を話してくれたそうです。

友人と彼氏はその事実に驚きました。神様が結婚式を挙げて!と背中を押してくれている!!と思い、決断しました。ただ、予算が足りない事が気がかりでした。しかし、ウエディングプランナーさんは色々と考えてくれて、式台を無料にしてくれて、安くするアドバイスをしてくれたのです。そのおかげで友人は病気の母親にドレス選びから結婚式までしっかりと見せる事が出来ました。

彼氏のあの一言がなかったら、ウエディングプランナーさんの一言が無かったら、と考えると今でも後悔したと思うと話していました。余談ですが、結婚式のお礼の手紙を読んだ時、病気のはずの母親は、せず時を伸ばして笑顔で涙を流しながら、有難う、幸せになってねと言ってくれたそうです。"

涙の温泉旅行

うちの父親はとても頑固で、弱気は絶対に吐かないタイプの古風な人です。小さい頃からとてもうざい存在でした。社会人になり、家庭を持ち、親の大変さがわかり、「出来るうちに親孝行しないとな」と思って、温泉旅行に誘いました。

父は恥ずかしいのか、嫌がっていたので、強引に連れ出しました。2人で温泉につかり、昔話をして、父親に「背中流すよ」と言って、背中を流していたら、いつも強い姿しか見せなかった父親の目から、涙らしき物が溢れていた。
「目に水が入った」と言ってごまかしていたが、あれは間違いなく嬉し涙だと思う。

「こんなバカ息子を立派に育ててくれてありがとう」と恥ずかしくて言葉には出せなかったけど、心で感謝しました。本当にありがとう。

これからは積極的に親孝行しようと思います。

幸せでいること

学生時代から、塾や習い事やら本当にお金を掛けてもらっていた私。社会人になって、自分でお金を稼ぐまで、お金を稼ぐ本当の大変さを実感していなかった。

紆余曲折があって、両親には心配をかけてしまったけれど、やっとひとつの職場で安定して働くことができるようになった。

給料日のたびに、両親の好きなお寿司をご馳走したり、気持ちばかりのお小遣いも渡してきた。それでも全然足りていないことは分かっていた。一度ちゃんとしたいなと思って、ある日からこつこつと両親用にお金を貯めることにした。

100万円を貯めて、銀行で新札で100万円の束を貰ってきた。少ないけど、とりあえず今出来ることで「どうもありがとね」と言って渡した。両親はびっくりしながら、こんなことしなくていいのにーと言い受け取ってくれた。

それから数年後、私は遠いところで結婚することになり、そのときのお金をまるまる取っておいてくれた両親がそのお金で遠路はるばるやって来てくれた。私が今幸せでいること、手前味噌だけれど、それこそが一番の親孝行かなって思う。

25年越しの銀婚式

私の両親は結婚して去年で25年でした。こんなに長く一緒に仲良い両親を尊敬していて、私はプチ銀婚式をしようと計画しました。両親には「結婚記念日だかた食事にいこう」と誘っておき、ホテルで食事しました。

食事が終わってから、ホテルの方に協力してもらい、母を別室へ連れていき、ドレスに着替えさせ、父はタキシードに変身させ、ホテルの教会で家族だけの結婚式をとり行いました。

両親は結婚した当初、阪神淡路大震災にあい、するはずだった結婚式を行うことができなかったんです。そのまま、兄が生まれ、私が生まれ、今まで結婚式をすることができなかったんです。

昔、母が「一度はウエディングドレス着てみたい」といっていたので、母の夢を叶えてあげることができました。とても喜んでくれ、最高の親孝行ができたと思います。

親孝行記念日

最近めっきり食欲がない母。何気なく観察していると、どうも歯の調子が悪い様子。母は誰にも心配をかけたがらない昔ながらの女性なので、それとなく聞いてみても「食欲もあるし、ちゃんと食べている!」の一点張り。

しかし痩せてきた感じもあり、質素なものばかり食べているので、問い詰めたところ、殆ど歯がなく噛むことのできない状態でした。何でこんなになるまで放っておくのかと呆れると同時に、何でこんなになるまで気付いてあげられなかったのかと罪悪感でいっぱいになりました。

そこからは思い立ったが吉日よろしく、すぐに歯科医の予約を取り、レントゲン、抜歯、総入れ歯作成の流れで、無理を言って急ピッチで進めてもらいました。肝心の母は、私の行動力にびっくりするばかりでしたが、入れ歯ができあがったその日の笑顔は忘れられません。誕生日でも母の日でもないただの一日でしたが、私にとっては大事な親孝行記念の日です。

それからというもの、母は大好物のりんごや柿などの硬い果物が食べられて、本当に幸せそうにしています。少し値段の張るプレゼントにはなりましたが、母の生きる力=食べる喜びが復活し大満足です。

親孝行貯金箱

自分がやっている親孝行なのですが自分の部屋のスペースに貯金箱を置き一年間小銭貯金をして母の日に母にプレゼントをするって決めています。

三年前は一年でも小銭なので3000円程しか貯まらずお花と子供の写真入りカップを。2年前は5000円程たまり小銭入れを購入しました。それなりに喜んでくれてましたし自分でも無理なくプレゼントあげ小さな事ですが親孝行出来ているのかな?と思っていました。しかし去年なぜか約10000円程になっていました。

ペースは変わらず貯めていたので5000円くらいかなと思っていたのですが倍の重さになり両替の時に金額を見てビックリ。美味しいご飯と花とシューズを買ってあげる事が出来ました。しかし今年たまたま仕事から帰った時、息子が私のその貯金箱に小銭を入れている所を発見してしまったのです。何も言わず貯金箱に少ないお小遣いの中から貯金していた事に気づき涙がでました。

それと同時に子供の成長を痛感しました。嫁から後で話を聞いてみると、嫁と息子で内緒で貯金箱に少しずつ入れていたそうです。なので今年は母の日みんなの好きなご馳走とステキな家族からのプレゼントをしたいと思います。

親孝行を通して、息子が優しい子に育ってくれたことが一番嬉しいです。

私の娘に生まれてきてくれてありがとう

両親は私が幼いころに離婚しており母親と姉の三人暮らしで裕福ではなかったのですが楽しい毎日でした。高校生くらいになると母親に反抗したり口答えをしたり喧嘩も増えて学校も行かなくなったり今思えばひどい娘でした。

そんな反抗ばっかりする私に母親は何も言わず毎日毎日一生懸命働いてくれてました。朝から晩まで働いてくれて私を大学に入学させるために頑張ってくれてました。

しかし勉強が嫌いな私は大学には行かず働くと母親に言ったのですが反対され大学には行きなさいと言われ喧嘩した日から私は家出をしました。心配した母親が迎えに来ても無視をしたり大喧嘩したり結局家に戻りまた喧嘩したり。

そんな反抗期の時期も終わり今社会人になった私は母親に海外旅行をプレゼントしました。母は海外に行ったことがなく行ってみたいと言ってたのでプレゼントしました。

そこで反抗期の私の反省とあの時大学に行きなさいと強く言ってくれてありがとうと感謝の言葉を述べると母は「今ちゃんとしっかり働いて素敵な女性になった娘を誇りに思う。

私の娘に生まれてきてくれてありがとう。」という言葉に涙がとまりませんでした。こんなにも優しくて頑張って育ててくれた母に心から感謝しています。

愛情をそそぐと

お父さんの親孝行の話です。おばあちゃんがお父さんを産んだのは今で言う高齢出産の年齢でした。歳のせいで子育ても苦労したらしく金銭的な余裕がなかったのでお父さんは大学へ行きたくても行けなかったそうです。ですがおばあちゃんは愛情はとことん注いでくれる人でした。

お父さんは高校を卒業してから一旦は就職したのですが、そこで経営のノウハウを学んで人脈を広げてから独立し、一代で会社を築き上げました。

お父さんいわく、『愛情を持って育っててくれたからがんばれた』と言っていました。

今では私や妹、私の子どもまでお父さんのお陰で良い生活をさせてもらっています。私の子どもが学びたいと言ったら英会話スクールへも通わせてくれました。

そして、お父さんはおばあちゃんへの親孝行として毎年海外旅行をプレゼントしています。去年はおじいちゃんとおばあちゃんは2人でドバイへ行っていました。おばあちゃんはいつも私を可愛がってくれ、お父さんのことも自慢だと言っています。

母のサプライズバースデー

私の両親は祖父の代から自営業を営んでいます。私が物心ついたときから母は毎日朝から晩まで仕事をしていて、昔の考えを持った父は家庭のことを何もしない人でした。数年前に大黒柱の父が他界し、母に残されたのは自営業と一家の大黒柱という大きなものでした。

自分も家庭を持つ年齢になり、家庭を守りながら仕事をすることの大変さを痛感するようになり、毎日誰よりも帰りが遅く、毎朝誰よりも早く起きて仕事へ行く母を思い出し、何不自由なく育ててくれた母への感謝は感謝してもしきれないと日々思えるようになりました。

父がいなくなってからの母は年齢を重ねているにもかかわらず更に大変になり、自分の時間をもう何十年過ごしてないことに気づきました。兄弟で話し合い母への親孝行として母の笑顔を耐えないことをしようとその日からいろんなことをしています。

その中でも一番の思い出は、忙しい母が味わえない友人との時間を作ろうと、母のサプライズバースデーを計画し、母の友人、近所の方、たくさんの人に声をかけて、集まってくれた人数は100人越えです。母からこんなに沢山の人に祝ってもらえる日が来るなんて夢にも思ってなかったという感激の言葉を聞いて、私もとても嬉しかったです。記憶に残る親孝行を目標にまだまだ沢山していきたいと思います。

親孝行のきっかけ

友人の話ですが、小学生高学年の頃、両親が離婚しシングルマザーで育てられた為、周りより貧乏で苦労したと言っていました。特に、お母さんは働きづめだったので、遠出や旅行には全然行けず、周りのそういう話を聞くと羨ましかったそうです。友人も29歳になり、自分で働きづお金を貯めて何か親孝行出来ないか考えていました。そこで、お母さんに聞くと海外に行ってみたいと言ったそうです。そこで、友人はお母さんが昔から「一度は行ってみたい」と言っていたエジプトへ連れて行きました。お母さんは念願の海外、エジプトで子供からのプレゼントで、とても喜び、旅行最終日には号泣してたとのことでした。この話を聞いた時、私は自分の親に何をしたら親孝行出来るだろうと考えるきっかけになりましたし、とても感動しました。

父をじいじに

私が社会人1年目、当時付き合っていた彼と結婚の日取りも決まっていた時、父が癌になりました。両親が新婚旅行で行ったハワイで挙式をすることを決め、話を進めている最中でした。癌発覚後すぐから入退院を繰り返し、手術を何度も受ける日々が続きました。それでも、同じ癌の方もたくさんいて、みんな上手に癌と付き合いながら元気に過ごしていたので、父も長生きはできなくても、長く付き合っていくものだと思っていました。

しかし、若かったのもあってか、かなり進行が早く、病状は悪くなるばかりでした。ハワイでの挙式も諦めていましたが、父はどうしてももう一度ハワイに行きたいと昔から言っていたので、これを逃したら父は一生ハワイには行けないかもと思い、ハワイで挙式をあげました。体力は落ちていたものの、とても楽しそうにハワイを満喫していて、連れていけてよかったと感じました。それからは、また、入退院の生活が続き、検査結果に落ち込むことが増えていきました。

そして、癌が転移していることがわかりました。あまりよくない状態だとわかったので、私は孫の顔を見せてあげたいと思うようになり、運よくそれからすぐ妊娠がわかりました。孫の顔を見たら、元気になるかもしれない。たまにテレビなどであるように何か奇跡が起きて癌んが小さくなるかもしれないと淡い期待も抱いてしました。

里帰り出産を計画していて、5月11日の出産予定日に合わせ、3月頃帰省しました。病院ばかりの父とどこか温泉にでも行こうと母と計画を立てていた矢先、家族誰も予想していなかった余命宣告。父はそれなりにまだ元気で余命宣告をされるなんて思ってもいませんでした。

今度の紅葉は見られないでしょう、お孫さんの出産にも間に合うかどうか。なんとか治せる方法はないのか、違う病院を紹介してもらい、期待して県外まで行くも、ここまでひどいとどうしようないと…

そして、いよいよ明日緩和ケアに移るという時。緩和ケアに移るということは延命治療をしないということ、心臓が止まっても心臓マッサージもしません、と医師から説明されたことを母から聞かされました。子供が生まれてからなら納得できるけど、もし5月10日に心臓がとまったら...?なんとか延命治療してほしいと思ってしまう。

そんなことを考え、泣きながら二階の寝室に向かったその時、破水。頭で考えるよりも先に体が反応し、緩和ケアに移ったその日の夕方、出産予定日より3週間ほど早く、初孫が誕生しました。緩和ケアに移っていたので、外出もでき、父はうれしそうに初孫を抱っこしていました。それから母の決断もあり、最期は家で過ごそうと父も退院し、孫と娘と同じ時間を同じ空間で過ごしました。そして、5月15日、父は天国へ旅立ちました。予定日通りに生まれていたら、私はまだ病院。

孫の顔は見せられなかったと思います。たった22日日間だったけど、父をじいじにしてあげられて、本当に良かったです。孫を抱かせてあげられたこと、これが一番の親孝行だったかなと思います。ちなみに遺影の写真は父が一番笑っている写真を見つけて、家族みんなでこれが一番いいねと使いました。それは、ハワイで私と腕をくんでバージンロードを歩いてるときの写真です。

親孝行 泣ける感動エピソード まとめ

親孝行を通して、両親や自分が満足する以外にも、子供や自分の人生そのものにも影響を及ぼしていることがわかりますね。

他にも、こんな感動する親孝行を体験した、知っているという方は是非コメントをお待ちしております。

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